イライラで表情がこわばる。
精神衛生上良くない。
これはリーダー自ら招き寄せているかもしれません。
部下が言う事を聴かないではなく。
人を使うというノウハウを考え直すことで、解決できる可能性があります。
あなた自身がリーダーならご一緒にどうぞ。
現代っ子には「ディレクティブな人の使い方」というのに限界があるのです。
もっといえば、それ自体を理解していないかもしれません。
なのでディレクティブな人の使い方ができる人材は貴重であり使い方を間違ったら絶対いけません。
「ディレクティブ」とはいったい?
「ディレクティブ」
元々は「神霊学の用語で、暗示によって人を動かすや、催眠術使い」を言う言葉ですね。
そうですね、ハッキリ指示したり、明確な言葉を使わずに人を動かす。
こんなイメージでいいと思います。
映画監督をフィルム・ディレクターというのはこのためです。(笑)
映画監督も指示は静かに、俳優に指示をしますが具体的ではないでしょう。
こう、そういう感じね。ここは悲しむシーンだからね。くらいでしょう。
俳優が、そのシーンの前後、流れをくみ取ってこういう気持ちの悲しさを・・・
みたいなね。
野球なんかそうですよ。
サインです。
コーチや監督が大きな声で指示したら相手チームにこちらの作戦などを悟られちゃいますから、お猿さんの踊りみたいなサインを出すわけです。
選手は、サインを見て、次の行動を取りますが、そこは試合の流れもあり臨機応変でしょう。
例えば、
スクイズのサインがでた。
ピッチャーが投げた。
良し行け!走る。
バッターがバットも降らずボールがキャッチャーミットの中に。
・・・
その光景を見て、唖然!
引き返せない。
アウトになってしまいます。
選手がサインを見落としたり、忘れたりして試合が台無しになったり。
ここでディレクティブをまとめると…
あいまいな表現で指示をするディレクターということです。
部下に、それを汲んで「一を聞いて十を知る」という芸当ができる人がいる事を期待するというモノですね。
ところが!
・・・
そんな人材が現代っ子にいますかね?
良く言えば、ディレクティブとは「一を聞いて十を知る動きを期待する」という意味なんですね。
それを、部下に求めようとしているのです。
日本人は前大戦から73年以上も戦争をしていない幸せな平和な国です。(2018年8月15日で73年目)民主主義としての決定は多数決を重宝し、運動会の勝敗も白黒をつけず、両方勝ち!
という教育で受験勉強の競争を経験している分まだまともでしょうが、その競争すらなくエスカレータ式に進学してきた教育や、ゆとり教育という時期に教育を受けていた30代以下の若者らに「そこでいわれた意味や真意をくみ取って行動する力が必要ですよ」と言ってみても、〇×教育を受けて丸暗記だけで過ごした現代っ子にこの「ディレクティブ」そのもの自体が解らない傾向が強いのではないかと思っています。
つまりは、これからはディレクティブは求められない、通用しない。
良く、良く、良く見かける光景が、
印刷用の原稿はこれね。お願いね!
・・・
ありがと・・・
と、言葉を少し、失いました・・・
7ページある資料の10人分をプリンターから印刷したまんまで持ってきます。
満面の笑みを浮かべて。
鹿児島県:はると(32歳・男性)
会議の資料を10人分印刷という事を伝えたんだから、せめて、10セット分資料にして欲しいよなぁ。
何のための資料か説明したのに、忘れてるのかなぁ?
もう中堅事務員なんだし、それくらい言わんでもやって欲しいぜよ。
福岡県:事務員さん(24歳・女性)
えへへ、ちゃんと指示された作業はできたもん!
ちゃんと10人分の資料を用意したし、時間に余裕持ってできたんだからね!
と、こんな感じで思っているでしょうね。そこには大きなギャップがありますが・・・
(事実、はると先輩は、毎回思っています、早くここまで成長してくれないかなぁ!と・・・)
是非は別で、まだこのディレクティブがどんなものか解かる世界が
いやいや、まだこのディレクティブが無視できない世界があるじゃないですか!
ドラマにもなる世界ですのでたとえ話として、政界や官僚の世界などには今でも根付いていそうです。
役所や官庁の役人が出入り業者に「では昼前に来てくれ給え」
と言ったとします。
この時「昼飯を食わせろ」というディレクティブであり、「四時半過ぎに」と言われたら「晩飯を喰いにつれていけ」という
ディレクティブなのです。(苦笑)
まんまドラマの一シーンであるある、ですね。
これを額面通り文字通り、お昼に訪ねて、四時半に相手を訪ねて、用件だけを済ませて「では、これで失礼します」といって帰ってしまったら。
「あいつは、気が利かないやつだ!」出入り差し止めの難癖をつけてやれ!
という事になりかねません。
これは日本的人使いの特徴でもあるのです。
江戸時代の殿様の「よきに計らえ」が、ディレクティブの元祖ともいえるもので、幕府の「お家取り潰し」を怖れる各藩の生き残りの知恵の一つだったようです。
つまり、最悪の場合、家老かその直接の担当者が、切腹することで、大名たる殿様まで責任が延びてこないようにしたわけです。
「家老以下の部下が勝手にやったことで、私が指示したことではない」
という論理ですね。
現代でも、大きなニュースになる汚職やスキャンダルで大物が傷つかず、課長代理クラスの責任(自〇)などででうやむやになるニュースなどもこれなんではないかと考えます。
ディレクティブは否なのか?
是非を問うのであれば、ディレクティブは、是でしょう。
使う側にとっては万時、都合がいいのは事実でしょうからね。
なぜか?
- 上の者が少しボンクラでも、下の者が気を利かせてやってくれる
- 結果が良ければ、上の者の人の使い方のうまさになり、まずかった場合は
部下の独断、独走ということで、上の者は責任回避できる
というメリットがあるのです。
リーダー側には完璧なメリットですよね。
しかし、本来の「一を聞いて十を知る動きを期待する」事ができる人材は貴重な人材なのです。
人の向上心としてこれは正しい事であると思います。
こんなすばらしい資質を持つ人材を、利己益のために考えることがありこと自体が言語道断です。
これはいけません!
日本の企業の大小、業種を超えて見られる一つの経営者側の声で、「やる気のある社員」「自発心を持つ社員」というのがあげられますが、これの真意が、ディレクティブが通用する社員を期待することなら、今となっては稀有の存在だという認識を持ってもらいたいです。
もし、掘り出せたのでしたら貴重な人材であるでしょう。
正しく育てて欲しいし、正しく導いてほしいです。
②はメリットではあるものの、私の考えるリーダーの素養や資質に該当しないものです。
まとめ
ディレクティブな人の使い方をするのであれば、それを理解できる人材がいないと成り立ちません。
現実それを上段に構えるとことは稀有な存在ですので現実的では無いと考えます。
もしディレクティブな人材を見つけた場合はそれが成立する条件は
「有無相通ず」「以心伝心」です。
この関係が構築できるには信頼が重要で、そのためにも、ディレクティブのメリットの②.は絶対に看過できない事案ですので
お忘れなきようお願いしたいところです。
ここまでが、前編という事になります。
いかかでしたでしょうか。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
次回は、
「ディレクティブを前提とする人の使い方には限界が…
命令で動かす勇気 後編」です。
to be continued…