戦後の日本は、争いをタブーと捉える事に懸命になり、争わず意思決定する紙(神)のお告げの如く、多数決がどこもかしこでも採用された…。
それで、日本は、民主主義の国、他国との争いは全面禁止と、世界でも稀有な国となり、戦後の復興は凄まじいスピードで経済大国にまでなりました。それに治安がいい安全な国ということにはなっているのですけど。
その引き換えに、日本での常識は、世界(グローバル)では、非常識なものになってしまってるらしい。
どう、どう思いますぅ!
ど、どうも、harutoです。
治安がいい国ニッポン!だから安全だもん!
犯罪も、他の国とは比較にならないくらい低く犯罪検挙率は高い。
一人で外出しても、道を尋ねると親切にしてくれる。
町全体が深夜でも明るいし、良い国だねー。
深夜、若い女性が一人で歩いてても・・・
いやそれは、常識的に危険でしょう。
良い人間や悪い人間なんてのは、国籍には関係がないですから。
巷では、外国人が沢山日本に入ってくる?
人口の1/3が外国人になる!
国が乗っ取られる!
犯罪が増える!
と騒ぎ立てている人も散見できますし、確かに不安という気持ちもわかる気がしますけど、日本人にも悪い人もいるし善良な人もいる。
これはどこの国でも同じ。
犯罪もある意味、無知であることが原因で、教育を受けているかどうかの差だと思うのですけど・・・。
危機と危険の違いを問う!
どうですか?
これについて、あなたに、ご説明願います!
と言われたとき、ズバッと返事ができますでしょうか?
残念ですが、現代の社会に生存している我々にとって、最も注意する必要があることは、漠然な危機意識はあっても、危険意識は薄いという所です。
Crisis or Danger この言葉は全く違う意味を持っています。
危機(Crisis)とは、何かを支えているシステムや、からくり(仕組み)が思うように働かなくなって現実に起きる混乱やその予兆、いわゆるパニックのことを指していると理解します。
資本主義の危機は、資本主義を支えるシステムがおかしくなったという解釈します。
これに対し、危険(Danger)とは、失礼。
自分がボケているために我が身の上に降りかかる不幸を言います。
— 辛辣な言い回しですみませんm(_ _)m —
現代社会は、別名管理社会であって、システム社会でもあります。
このため我々は、すべてが危機意識までで止めてしまって、自分への危険に対しては無防備に近いのです。
辛辣な言い方になって、表現がよくないとは思いますが、事例の一つとして見ていただきたいです。
市や町の行政の管理システムに欠陥があるとして、親は損害賠償を訴えます。
親としてみれば、この怒りをどこかにぶつけないとつぶれてしまいそうになる
心境は理解できます。
また、プールで溺れて息を引き取りました。同様に学校側の管理責任、管理シ
ステムに問題があるとすり替えてしまう。
絶対に、自分の子供が不注意でしたとは言いません。
子供の非行、シンナー悪戯、その他いろいろ、親としての監督責任もゼロでは
ないのでは?
その一切を忘れて、教育制度の問題にすり替えてしまうなどと、こういった
ニュースになる事案は枚挙にいとまがないのが現代社会と思っています。
本来、危険は自分に降りかかるもの、それは自分が振り払うべきものです。
危険という意識を持てば、自分で避ける事もできるのですから。
そう、これ!欧米のお母さんはお子さんが小さいころから実践されていますよね。
・・・
これにちなんだ記事を書いてました。
お母さんはやっぱりすごい!的なタイトルでしたっけ?(笑)
この私のブログ内にありますよ!
良かったら探してみてください!
ちょうど、深夜にコンビニで強盗と鉢合わせて、包丁を突き付けられました。
それを、警察が居ないからだ!とか、防犯システムが悪い!と吠えたところで
どうにもなりません。
そんな時間にそこ(コンビニ)に、あなたが行った事が問題なのですから、
危険は自らの力で避けなければならないでしょう。
危険は、自分自身の問題です。
孔子の言う「君子危うきに近寄らず」
これは、臆病め!という解釈もあるそうですが、そうではなく、君子と言われるほどの人は、敢えて進んで危険に智和ようなことはしません。という事です。
ただ、ここで大切なことは「何が危険で、何が危険で無い」これを見抜く力です。
君子は、凡人よりはるかにこれを見抜く力があるという点です。
中国でいう君子とは、皇帝や将軍などの徳のある人物を総称していると考えられます。
相手が待ち構えているのも気付けずノコノコ出ていきました。
その結果、民兵に打ち取られました。
これをボケと言わず、何と表現するのでしょう。
ビジネスでも相手の会社が計画的な倒産をもくろんでいるさなか、無邪気に言われる通りに商品を納めにいくセールスマンはボケというのです。
これは、相手が悪いと言いたくもなりますが、それを見抜けない、見抜けなかった自分が悪いのです。
将棋や囲碁、チェスなど、この人強い!
という相手は、仕掛ける罠を見抜く力が強い。
数十手から百数手先を読むという力もそうですね。
(常人離れしています「さすが名人」))
いわゆる賢い人とは?
賢い人は、罠や危険な仕掛けなど、他の人より早く敏感に察知する力が強い人の事です。
人は何のために学ぶのでしょう。
他人より優位に立って偉そうにしゃべるため?
違いますよね。
ひたすら危険を回避できるように、早く見抜く力をつけるためと言ってもいいと思います。
危険と感じるのは「変化を感じ取る時」これは人間の心理DNAに刻み込まれた危険察知能力。
ボケーっとしていては、何百回死んでも仕方がありません。(笑)
あなたは「ショック」という単語の意味をご存知でしょうか?
日本語の意味としては「驚きを現す」英単語です。
予期せぬ出来事に直面した時の心理的動揺を表現した意味の言葉ですが・・・
ご本家の英語圏の方々は、この言葉は滅多に口にしないそうです。
代わりに「おー まい ごっと!」はよく口にしてますよね。(笑)
映画(外国の)でのシーンにもよくあります(笑)
理由ですか?
それは、ショックとは、とても恥ずかしい意味の言葉だからだそうです。
何が恥ずかしいかというと、随分前になりますが、
「ドル・ショック オイル・ショック等・・・」日本では新聞ニュースで大鷺でした。
その状況を解釈すると・・・、
「一年先や半年先の経済状況も全く見抜けない」「それで心理的動揺を隠せない状態」
という意味にあたるようです・・・。
つまり、ボケとか阿保という事らしいです。
だから、恥ずかしい言葉なんだそうです。
日本人の経営者の中には「何とかショックでして、うちはその時、倒産したんですよ。」
臆面もなく口にして大変苦労をしたと披露します(大変な目に遭ったという同情をもらうため?)
こんな、経営者が多かった・・・みたいです。
何を意味しているのやら…
まとめ
危険予知する力を磨くことです。
先ず自分の実を守ることにもう少し頓着していきましょう。
危機管理も必要ですが、それ以前に自分の身を守る危険意識を育てる事です。
危険は、自分自身の問題ですから。
いつ何時、何か起こってもこれからは不思議ではありません。
自分の実は自分で守るという意識はおそらく今後必要です。
誰かに守ってもらう。という意識は変えていきましょう。
危険を呼び込むのも、遠ざける事ができる事も、あなた自身の意識の問題であるから可能なのです。
それに、あなたの潜在意識に「危険」を感じ取る能力は既に備わっているのですから。
賢くいきましょう。
磨きましょう。
いかかでしたでしょうか。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
次回予告は、「リーダーの権利」です。
to be continued…